ナイルの河辺、ルクソールより

140字で書ききれないこと。

紙々の指紋

某氏のブロマガを読んで思い出した、とある本にまつわる思い出について語る。

 

 

 

読者諸氏は「神々の指紋」という書籍についてご存知だろうか。

 

知らない方のために簡潔に申し上げると、

「この地球には超古代文明が存在したんだよ!」

「な、なんだってー!」

という本である。

 

ギザの三大ピラミッドに登ってみたり(もちろん無許可)、マヤとエジプトの古代文明同士に共通点を見出してみたり、遺跡を星座にみたててメッセージを読み解いてみたり。

真剣度の高いMMR、といったところか。

 

真に受けて読まなければ、正直めちゃくちゃ面白い。

著者があまりに楽しそうで熱意に溢れているので、ついついこちらも、ちょっとは当たっているところもあってほしいという気持ちになってくる。

SCPとか好きな方にはおすすめである。

 

 

 

私とこの本の出会いは、小学校低学年かそこらの頃、母が図書館から借りてきたことである。

この本のミステリアスな表紙には大層心を惹かれ、中身を読もうとしてはみたものの、当時の私には言葉が難しすぎて、数ページも読めなかった。

 

数年後。あれは小学校を卒業する前だったか、いや、もう中学生になっていた気がする。

当時の自分のお小遣いはたったの1000円ぽっちであり(貰えるだけありがたいのだが、当時の私にはそのような殊勝な心持はなかった)、本など高価な割にあっという間に利用価値をなくす(読んだら終わり)アイテムの代表格であったため、読書欲は図書館で満足させる代わりに、1000円は大好きなチョコチップメロンパンに消えていた。

 

ある日、友人とブックオフに訪れた。

小中学生がブックオフに訪れる理由など九割五分マンガの立ち読みだと思うし、私も一年ほどはそのために訪れていた。本は好きだが、なにせ図書館でも読める。マンガはブックオフでしか読めない。

しかしその日は気が向いて、一般書コーナーをうろついてみると、そう、あの思い出の「神々の指紋」が目に留まったのである。

 

母は「本は可能な限り図書館で借りて読みなさい」という出版業界が聞いたら泣いて悲しむ価値観の持ち主であり、父は当時本にはほとんど興味を示さなかった。

当時、記憶にある限り、我が家で購入したハードカバー書籍はハリーポッターシリーズが最初で最後という状況。

ハードカバーの書籍を持つということに、ある種のハイステータスの香りを感じるとともに、憧れの気持ちを抱くようになっていた。

(なおその5年ばかり後、我が家の本棚は父の購入したずっしりとしたハードカバーの推理小説で溢れかえり始めるのだが)

 

そして私は、1400円をはたいて神々の指紋上下巻を購入していた。

百均で透明なブックカバーを購入し、学校へもカバンに入れて持って行き、見せびらかすように読んだ。

だって、やっぱり表紙がカッコいい。高尚で、世界の真理に迫っている感じがする。それを読む私、マジかっけー。

前述のとおり、内容も面白い。今思い返しても面白いのだから、当時はもう衝撃的なまでに面白かった。

 

 

 

ある日、母が私にこう言った。

「読むのはいいけど、あまり真に受けちゃだめだよ」

難しい年頃の子供を持つ親としては、極めて適切な忠告だと思う。

実際、もうちょっと私がアホの子であれば、この本をきっかけに世界中の陰謀を暴く戦士となり、今頃怪しいヨガ教室の講師だったかもしれない。

それはともかく、実際のところ、私はへらへら笑いながら

「当たり前じゃん。でももしかして本当にそうだったらいいな、って思うだけ」

と返した。

 

別にそれは取り繕いでも何でもなく、本当にそう思っていた。

私はこの本の内容に夢中になる程度には若かったものの、真に受けるには擦れすぎていた。

だって、児童書コーナーの心理テスト本は全部でたらめで、色とりどりのパワーストーンには科学的な効果なんか無いって、理解してしまった後だったから。

良識的な大人の言うことよりも魅力的なファンタジーを信じるには、もう物事を知りすぎていた。

 

でも、それをわざわざ口にした母に、なんて無粋なんだ!と怒る気持ちがあった。

超古代文明が嘘っぱちでも、面白ければどうでもよかったのだ。

この本の世界観に浸るとき、我々の生きる今と地続きの1万2000年前に、超古代文明は存在していた。

それを否定するものなど、何もなかった。

いや、否定材料を探す必要そのものがなかった。

私は1万2000年前に実際に何が起きていたのか知りたかったわけじゃない。

現実を舞台に展開される超古代ファンタジーに、想像の翼を広げたかった、それだけなのだ。

 

あ、でも、やっぱり、ちょっとは信じてたかも。

 

数年後、大学生になった私は、この本を捨てた。

 

 

 

この本を読んだ頃から、子供の頃あれだけ慣れ親しんだ異世界ファンタジーものの児童書にはあまり興味を示さなくなり、また一方で部活が忙しくなったのもあって、私は読書をしなくなった。

2年ほど後、倍増した小遣いを手に訪れた書店で、灼眼のシャナを手に取るまでは。

 

神々の指紋」が、そうした変化にどれほどの影響を与えたのか、それは今となっては分からない。

ただ、たまたまそういう年頃に読んだだけ、と言われれば、まあそうだと思う。

 

とにかく、中学生時代を境に、私は現代ファンタジーの世界に傾倒していくようになる。

自分が今生きているこの現実と地続きに、知らないところで不思議なことが起きているかもしれない。ひょっとするとそれに自分が巻き込まれるなんてこともあるかもしれない。

その想像から得られる興奮は、不思議なことなど起こって当たり前で自分とは無関係な異世界ファンタジーには、決して見いだせない魅力だった。

 

そして今でも、あの本のことを思うとき、私の心は「ひょっとしてひょっとしたら本当かもしれない超古代文明」を思って、わくわくするのだ。

普段エセ科学やオカルティストに感じる苛立ちや罵倒を飛び越えて、そのわくわくは、輝きは、心の底からやって来る。

 

心の底に刻まれた、ささやかな指紋から。